
2つ目の「3・1闘争」は、この間、続けている東京の首相官邸前をはじめ全国の反原発の仲間と連帯した『反原発中電前金曜行動』です。
わがユニオンの宮原青年部長を先頭に、組合員も参加しました。実は、宮原青年部長がこの行動を呼びかけている「すべての原発いますぐなくそう!全国会議・ヒロシマ(NAZEN=な全・ヒロシマ)の事務局長をしています。それでユニオンも第1回目から、欠かさず組合員が参加しています。
それと、3・1は「59年目のビキニ・デー」でした。
アメリカが1954年3月1日に、太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。アメリカは、この実験に参加した兵士や環礁の住民、周辺で操業していた漁船の乗組員など大勢の人間を被曝させました。
この事件は、静岡・焼津港の第5福竜丸の乗組員で、被曝した大石又七さんが、命をかけて執念で訴え続けたために有名になっています。しかし、この時、1000隻の日本のマグロ漁船が被曝したのです。この補償と原発技術の日本へ提供をバーターにして、アメリカから日本に核技術(核兵器と原発の製造ノウハウ)を導入したのが読売資本の正力松太郎と自民党の中曽根康弘です。【この経過は、大石又七さんの各著作に詳しい】
日本の核技術は、ビキニでの被爆者を犠牲にして始まったのです。日本の核技術は、その初めから被爆者を踏みつけにしていたのです。まさに技術面だけなく政治的にも”核は被爆者なしにはなりたたない”のです。
そのビキニ被曝の衝撃(被曝マグロ)で立ち上がったのが多くの母親たちでした。東京・杉並の地で開始された原水禁署名運動が全世界に拡がり、世界の原水爆禁止運動は始まりました。この全世界的に拡大し大高揚した反核運動に対抗して、核開発・核武装強化を目論む日本の支配層は「核による平和」=「核の平和利用論」を押し出してきたのでした。この「核の平和利用論」をテコにして日本でも原発推進が国策として行われるのです。革新勢力と言われた原水禁運動も、大きくはこの思想の下に屈していき核兵器と原発を切り離し、「原発は科学技術の進歩」として建設されていくのです。そして地震列島に54基もの原発がつくられてしまいました。
今年の3月1日、その東京・杉並区で、フクシマとビキニをつなぐ、反原発の集会『原発いらない杉並集会』が開催され440人が結集しました。
ここで、反原発運動家の山本太郎さんの大石又七さんへのインタビューの動画が流されました。【動画は以下のブログで見られます】
http://blog.nazen.info/?eid=544
http://nazen.info/index.php
この杉並集会と固く団結したビキニ・デー闘争として、ヒロシマでも「金曜行動」を闘いました。13人と1匹(犬♂)が参加し、島根新設3号機稼働と上関原発建設を推進する極悪電力資本・中国電力本社前に登場しました。...